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2/20/2007

Olympia 97 Memories、Part 24,from the fanclub HP




Olympia 97 Memories、


90sMemories、


Part 24,from the fanclub HP






I have been very lucky to become so popular and joung singers often told me they have grown listening my music.
I often wondered why my voice and my music please so many people : maybe it is that deep feeling of love, affection, peace and justice research ?
I always have this feeling on stage.
My children's housekeeper - who lives with us for more than 25 years- always told me I look like a different woman on stage : I feel really happy. Stage is my own space.
The public and I is a wonderful love story. Singing is all my life.
私は世の中に広く知られるようになり、若いシンガーたちにしばしば、あなたの歌を聞いて育ったを言われてとても幸運だったと思います。
私は、よく、なぜ、私の声や音楽がそんなに多くの人々に喜ばれるのか、考えてみました。きっと、それは愛や、感情や、平和や正義などを追求してきたからだと思います。
私はいつも、ステージでこれらの気持ちを込めていました。
我が家の子供達のためのお手伝いさんは25年以上一緒に住んでいるのですが、いつも私に、家での私とステージの私は全く別人に見えるといいます。(それを聴いて)私は(そうだろうと)幸せな気持ちになりました。ステージこそが私自身の世界なのです。
聴衆と私は特別な素晴らしい愛で繋がれます。歌うことこそが私の人生です。


I would not me abble to live without that, as without my children I love so much
and I thank them really to understand they have to share their love for me with
my singing needs.
But I have been fed with my family's love, my friends and children's love, and above all my producer's who let me work as much as I can, knowing that I need that to exist.
1993 was a very special year. UNICEF asks me to be ambassador, children's voice (as they say). Il was marvelous to give my life another meaning.
私が子供なしでは生きていけないように、私は聴衆なしでは生きていけないでしょう。私はそれほど、私の音楽を聴いてくれる人々に理解して歌っている私と愛を分かち合ってくださる方がたに感謝しています。
しかしながら、それと同じくらい、私は私が愛している、家族や、友人達、子供達の愛情によって支えられています。
そしてなによりも、私に何が必要かよく知って、最高の状態で働けるようにしてくれるプロデューサー達に支えられています。
1993年は、私にとって大変重要な年でした。ユニセフが親善大使にならないかと要請してきました。(彼らの言葉では)子供達からの声だというのでした。そのことは私の人生に別の意味をもたせてくれる素晴らしいことでした。


=写真はファンクラブのHPから=

2 comments:

Anonymous said...

1993年からユニセフの親善大使をなさってるんですかー
以来ずっと今日まで?
大変なことですねぇ。
日本人ですと、黒柳徹子さんでしょうか。
年齢を感じさせない若さは、やはり「現役」の気概からくるのでしょうね。
長い翻訳を有難うございます~
(読者を代表して、お礼をば)

Anonymous said...

ペガサスさん、いつもありがとうございます♪
翻訳ですが、お恥ずかしいです。
テレビ朝日の、徹子の部屋 のディレクターさんが、何かの拍子に読んで、徹子の部屋に呼んでくださらないかと、、、、、、、(夢!
シャルルアズナブールさんには、パリまで会いにいってるんですよ。

今、ラジオのFMで旦那さんの浮気調査のこと放送しています。ペガサスさんの、アチラ情報から生々しい現実と、自分のこれからの第三の人生を併せて、考えてしまいます。

幸せって、きっと、みんな違って、エンドルフィンが何ででるかでしょうね。ナナさんは自分の才能に溺れずに、他の人の幸せもいつも考えておられたから、今でも愛されているんでしょうね。昨年12月もサントドミンゴで平和のためのコンサートをし、ユニセフの公式ページももっておられます。硬いはなしになりました。