Olympia 97 Memories、Part27,
90s Memories
from the fanclub HP
The german CD "NUR EIN LIED" brought out and I did a tour in Germany,
Austria from january to march 1996. It was marvelous but sometimes very hard : some days, I was in Parliament on the morning and on stage on the evening.
In may and june, I went in USA and East-Canada, I sang with Vancouver Symphony Orchestra.
In the same times, I was working for more and 1.5 years on a new english album.
Sometimes, I spend a week in New York to record,a nd the week after in Miame to record Nana Latina album. I like this travels and I like working in EP.
ドイツでCD"NUR EIN LIED"がヒットして、私はドイツでの公演ツァーをしました。
オーストリアで1996年の1月から3月の間公演しました。素晴らしい演奏旅行でしたが、何日かは大変忙しい日々でした。たとえば、ある日、午前中は議会に出席して、夕方からステージに立っていました。
5月、6月には私はアメリカとカナダの東海岸に行きました。私はバンクーバーシンフォニーオーケストラの伴奏で歌いました。それと同時進行で、私は一年半をかけて、新しい英語のアルバムを出す準備をしていました。
時に私が一週間をニューヨークで録音の為に過ごして、その次の週にはマイアミでNana Latinaのアルバムを録音していました。私はこのレコードをだすための旅行も好きでしたし、議会での仕事も好きでした。
I also have the opportunity to work for UNICEF during these travels.
I visited a lot of programs and worked on many new projects for South America.
I met official personalities for UNICEF to have better relationships to do better works.
For UNICEF every child must have the same chance : a future.
Every child must be protected from war or sexual violences, even from family or society.
I ended the american album on summer 1996. After so many long years of frenchship with Juloi Iglesias, we finally find the time to record a song together.
これらの旅の合間に、私はユニセフのために働く機会もありました。
私は、多くの新しいプロジェクトのために南アメリカを訪問し、活動しました。
よりよい仕事をするためによりよい関係をもつべく、私はユニセフの代表として、南米の公的関係者と面会しました。
ユニセフとしては、一人一人の子供達はその将来にすべて平等な同じ機会をもつということが重要です。
すべての子供が戦争や性的、家庭内、社会的暴力から守られねばなりません。
1996年の夏にアメリカでのレコードアルバムの録音が終わりました。長い間のフリオ・イグレシアスとの友情が、とうとう二人で一緒にレコードをだすというところまでになりました。
=写真はファンクラブのHPから=
90s Memories
from the fanclub HP
The german CD "NUR EIN LIED" brought out and I did a tour in Germany,
Austria from january to march 1996. It was marvelous but sometimes very hard : some days, I was in Parliament on the morning and on stage on the evening.
In may and june, I went in USA and East-Canada, I sang with Vancouver Symphony Orchestra.
In the same times, I was working for more and 1.5 years on a new english album.
Sometimes, I spend a week in New York to record,a nd the week after in Miame to record Nana Latina album. I like this travels and I like working in EP.
ドイツでCD"NUR EIN LIED"がヒットして、私はドイツでの公演ツァーをしました。
オーストリアで1996年の1月から3月の間公演しました。素晴らしい演奏旅行でしたが、何日かは大変忙しい日々でした。たとえば、ある日、午前中は議会に出席して、夕方からステージに立っていました。
5月、6月には私はアメリカとカナダの東海岸に行きました。私はバンクーバーシンフォニーオーケストラの伴奏で歌いました。それと同時進行で、私は一年半をかけて、新しい英語のアルバムを出す準備をしていました。
時に私が一週間をニューヨークで録音の為に過ごして、その次の週にはマイアミでNana Latinaのアルバムを録音していました。私はこのレコードをだすための旅行も好きでしたし、議会での仕事も好きでした。
I also have the opportunity to work for UNICEF during these travels.
I visited a lot of programs and worked on many new projects for South America.
I met official personalities for UNICEF to have better relationships to do better works.
For UNICEF every child must have the same chance : a future.
Every child must be protected from war or sexual violences, even from family or society.
I ended the american album on summer 1996. After so many long years of frenchship with Juloi Iglesias, we finally find the time to record a song together.
これらの旅の合間に、私はユニセフのために働く機会もありました。
私は、多くの新しいプロジェクトのために南アメリカを訪問し、活動しました。
よりよい仕事をするためによりよい関係をもつべく、私はユニセフの代表として、南米の公的関係者と面会しました。
ユニセフとしては、一人一人の子供達はその将来にすべて平等な同じ機会をもつということが重要です。
すべての子供が戦争や性的、家庭内、社会的暴力から守られねばなりません。
1996年の夏にアメリカでのレコードアルバムの録音が終わりました。長い間のフリオ・イグレシアスとの友情が、とうとう二人で一緒にレコードをだすというところまでになりました。
=写真はファンクラブのHPから=
補記;このLatinas のなかのククルククパロマは 2007年2月現在、Myspacecomで試聴できます。
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